ムイネーの朝とニャチャン

2005/11/7
二日目はムイネー唯一の観光スポット「砂丘」に行ってみることにします。もちろんジープではなくkickで。夕食を食べたビーチ沿いのレストランでやっぱり一人で朝ごはんを食べます。たまねぎの入ったオムレツとトースト、コーヒー。この辺はリゾートホテルなので、やっぱりそういうことになります。お昼過ぎに次に向う都市、ニャチャン行きのバスが出るので、荷物をまとめて、フロントに預けてチェックアウト。途中ブッキングオフィスで、出発場所、時間を確認して砂丘に向います。砂丘鳥取砂丘を山の中に作ったような感じで、なんでここがどういう訳で砂丘になったのかよくわかりませんでしたが、一番高いところに立って海の方を眺めると、ここでもカラリとしたいい風が吹いてきます。空はどこまでも高く、向こう側に見える海は穏やかで、隣で砂丘を滑らないか?とわめくずる賢いガキンチョさえいなければ、一時間でも眺めていたい景色でした。
何故ここに砂丘 
そのずる賢いガキンチョを振り払って、またムイネーの街に入っていくことにします。ずっとちょっと離れながらついて来る恥ずかしがりやの自転車に乗った男の子や、ビリヤードをしている10代の男の子に声をかけられたり。すっかり味をしめてしまいました。もう観光名所キライ。(笑)
颯爽と乗りこなす少年
名残惜しかったのですが、バスを待つ為にブッキングオフィスに戻ります。ムイネーという街は、リゾートの一面とともに、「ニョクマム」というナンプラーのような魚の醤油のような調味料の産地としても有名でした。そこで、お土産に本場ニョクマムを二本買い(10000d×2=160円)、お昼をゆっくり食べて、バスを待ちます。ブッキングオフィスの前のレストランで豚のしょうが焼きのようなもの(20000d=160円)とレモンジュース(3000d=24円)、ビール(7000d=56円)、ベトナムコーヒー(3000d=24円)とちょっと贅沢に。暑いですが、屋根の下はカラリとしているので海からの風が心地よい。待つ間、バイクタクシーの兄ちゃんにキックボードを貸してあげたり、お返しにバイクを借りたりしながら、なかなか来ないバスをゆっくり待ちます。バスは1時間ほど遅れて到着。ニャチャンに向います。
ムイネーは国道一号線を外れたところにある街で、ムイネーを出発したバスは、珍しくバイクもクラクションを鳴らしまくるバスもトラックもない真っ直ぐな海沿いの道を進んでいきます。
バスの風景
そして、1号線に合流。相変わらずクソ暑い東北、みたいな景色の中をプープークラクションを鳴らしながら抜きつ抜かれつで淡々と進んでいきます。
クソ暑い東北に日が沈む
日も傾き、夜の7時過ぎ、やっとニャチャンに到着。バスがついたところのホテルはなんかイヤ(ホテルは清潔そうで、しかも$5と安かったが)でかい荷物を背負って客引きを振り切ってぐるりとしてみます。しかし、地理感覚もなく、真っ暗な街で良いホテルを見極める事は果てしなく無謀に思えてきて、結局最初のホテルに戻ることに。[$5] 荷物を置いて、夕飯を食べに出かけます。ホテルを探している時、「この街はなんだかどうも怪しげだ」という根拠のない感覚があって、その日の探検は諦めてVietnamGOに載っていたLONEというブンチャー(フォーみたいなもの、違いはあまりよくわかっていません)のお店に行ってみることにしました。漸く見つけたお店は、思いのほか清潔だったのですが、思いっきりローカルな雰囲気を漂わせまくり、最初に受けた街の怪しげな印象もあってドキドキしながら入店。大量の野菜がつけあわせであって、ニョクマムも一番絞りの濃厚なやつ。蟹ミソみたいな感じです。うまい。(7000d=56円)
つけあわせの方がデカイ

ニャチャンの濃い夜

2005/11/7
ブンチャーのお店をでて、ホテルまでフラフラとキックボードで帰ります。その時、路上にあるビアホイ(生ビールを飲ませるお店のこと)から声がかかって、「おい止まれ止まれ」と。基本的に「アヤシイマチ」という印象だった為、かなり警戒しながら見てみると、ご機嫌に酔っ払った兄ちゃんとおっちゃんが飲むぞ飲むぞと誘ってくれています。ちょっと一杯飲みたかったところだったので、思い切って合流。人なつっこくて、とってもおしゃべりな彼らと、たどたどしい英語+指差し会話帳(これは必須です)でよく解らないけど大盛り上がり。「ハッピー!」という掛け声とともに移動生ビールサーバから注がれたビールを果てしなく飲みまくります。
移動ビアサーバとピッチャー
どういう間柄なんだろうか
巨大なピッチャー生ビールを3つ頼んで全部で30000d。(240円)いくらかはぼられたのかもしれないですが、それにしても安い。ご馳走しましたよ、もちろん。いやあいい気分だ、「アヤシイマチ」なんかじゃないかもな、なんて思っていたところ、僕のカバンの口が開いていて、手帳と現金(450ドル)が入ったポーチがないことに気づきます。ああ、やられた。まいった。困った。お金はなんとか切り詰めれば、この先の旅を続けていけるだけは別にしておいてあったので、最悪しょうがないとして、手帳を失うのはかなり痛い。一気に酔いがさめます。あああああぁ。
ブチ切れながら「返せ返せ」といってみたり「頼む頼む」と懇願してみたりしましたが、知らんもんねそんなの、と軽くあしらわれて、粘ってみたけどもうダメか、と思ってトボトボホテルに。やっぱり「アヤシイマチ」だ、くそう。

とんだ勘違い

2005/11/7
ホテルに戻ってふてくされながらメインのバックを見ると、そうだった手帳はコッチに移していたんだ、ということが発覚。ああああぁ。疑ってごめんなさい。手帳もお金もホテルにおいてありました。すぐさま路上ビアホイにキックします。そっけなく軽くあしらわれていたのは、おいおい何で俺がおごらなくっちゃいけないんだ!という主張をしていると勘違いしていたんだなぁ、と納得。急いで謝らなくっちゃ、と焦れば焦るほど、真っ暗な初めてのベトナムの地方都市、どこだかわからなくなってきます。
漸く発見。まだ営業中でした。さっきはごめん、手帳はホテルにあったよ、って事を伝えるのにとんでもない時間がかかりましたが、なんとかまた乾杯。しばらくして、もうじゃあお店は閉店(12時以降までの営業は禁止されているようです)、そのまま飲むぞ!ってことになって、韓国のマッコリのような濁り酒を大量購入、またつまみに孵化寸前ゆで卵。こんどはしっかりコレがいくらでアレがいくら、合計この金額ね、という5分ぐらいの会話の後、一番気の弱そうな、人のよさそうなおっさんが近くの酒屋までバイクで買いに行くことに。
人のよさそうなパシリなおっさん
眼がいっちゃってます
もちろんオゴリますよ。だって450ドルなくなったと思ってたのに、全部で40000d(=320円)なんて安いもの。さっきはホントごめんね、なんていいながら指差し会話帳で「この料理はうまいぞ、また食べたいな」なんていうような(憶測です)ことから日本の事、当然深夜の酒の席、俺はこういう女とやっちまった的な話(憶測です)までいろんな話をものすごいテンションだけど、とてもゆっくりと話しました。いい感じで酔いもまわってきた時、トイレに行きたくなって、もちろん路上だからそんなものはなくって、「トイレ行きたい」と隣のお調子者に話したら、「よし、後ろに乗れ」とバイクでトイレに。飲酒運転ど真ん中。路地を一つ曲がってゴミ捨て場みたいなよく解らない場所に連れて行かれて立ち連れション。戻って一杯飲んで、うちに来いとかそのままオーバーナイトだとか言っていたんですが、勘違いだけど騙された(騙されてないんだけど)あの記憶があって、あんまり調子に乗らないほうがいい、ここはベトナムだぜ、という自制が利きはじめて、「そろそろホテルに戻るよ」と席を立つことにします。すると、それじゃあ軽く案内しながらホテルまで送ってやるとしこたま飲んだ隣のお調子者が一緒に席を立ちます。
こいつがお調子者
まあそれもまた面白いかなぁと今考えると恐ろしくキケンな判断だったんですが、その時はそうでもしないと納まらないような雰囲気で、「それじゃおねがいするわ」とバイクの後ろに。バイバイーとみんなと別れて、暴走族のように蛇行運転を繰り返しながら「ヒョー」と叫んでテンション全開。かなり危険。(笑)まずは海だ、と海岸線まで出て、そこから「ベリナイススポットに寄る」と街中に。なんだそこは?と聞いても「ベリナイススポット」としか言わない。バイクは中心街を抜けてシャッターの閉まった店が続く道をどんどん進みます。やばいかな?と思った瞬間、道を3人組の女の子が歩いていて、お調子者は声をかけ始めました、ああ、やっぱりそういうことか、とバイクが止まった瞬間に、Go back to hotel!と叫んで、でも何故だ、これからが楽しい時間じゃないか、なんて会話の後に、もういい、コレ(キックボードを指差して)で帰るから勝手にやってくれ、と言って(かたことですよ)真っ暗な地方都市の外れでキック開始。大恐怖でした。幸い、ほとんど真っ直ぐな道だったので、中心街まではなんとか行ける、という自信はあったのが救いでした。しばらく進むとバイクが横に。さっきのお調子者かと思ったらバイクタクシーの兄ちゃん。「乗ってかねぇか?」と言われて、「乗る乗る!」と。(笑)事前の値段交渉もそこそこにホテルの名刺を渡して安全運転バイクでホテルに。(1ドル)
濃縮された、忘れられない夜でニャチャンははじまったのでした。

NHA CHANG [ニャチャン]

もうかれこれ1年半ぐらい経ってしまった。記憶を辿りながら、少しずつ書き足していきます。

戦慄の夜を越えて朝7時過ぎに、5ドルの窓のまったくないホテルの部屋で目覚めます。昨日起こったことが現実なのか、ということに、しばし唖然としながら持ち物とお金を確認してからタバコを一本。そうするとなんだか笑いがこみ上げてくるのです。あはは、そうだココはベトナムだ、と。しかもハノイでもホーチミンでもない、今まで一度だって聞いたことのない小さな地方都市ニャチャンなんだ、と。次の都市「ホイアン」へ向うバスは18:00。それまでホテルに荷物を預けて街をキックすることに。
ニャチャンという街は、東側を比較的きれいな、こんなところまでいるかってぐらい、リゾート丸出しの白人達が肌を焼いているビーチがあって、そのビーチ沿いに太い幹線道路、巨大なリゾートホテルがぽつぽつと。

ホテル建設中

ビーチ沿いの幹線道路

白人さんがマッサージを
その内側はいわゆるベトナムの地方都市的風景で、ダム市場という市場が北側にあって、そこから3階建てぐらいの建物が比較的ゆったりと建っている、という感じ。道は何箇所か大きな交差点があって、それぞれに軸が微妙にずれていて、方向感覚が狂いやすい街という印象でした。
まずはビーチ沿いの幹線道路を北へ北へ向ってみます。相変わらずの強い日差しの中、幹線道路は舗装の状況もよく、すいすいと進みます。
ダム市場
ダム市場へ。ホーチミンの時の「ザ・観光」な市場の感じではなくって、地域の人がしっかり利用しているような「本物」の市場。相変わらずキックボードが物珍しいみたいで指を指されて、手を振って、恥ずかしそうにニヤッと笑う、そんなやり取りを繰り返しながら、あまりの暑さに水を買って、ダム市場の東側にあるロンソン寺へ。ここは小高い山の上に巨大な仏像があるらしく、ロンリープラネットによると「ビーチとこんなもんしかないぜ、ニャチャンは」みたいなことが書いてあったので、とりあえず行ってみます。入り口には地元の小学生らしき子供達が何か買えと寄ってくるものの、キックボードの魅惑に負けて、「俺に貸せ、いや私が先に」というようなやり取りの後、「入り口はコッチだ、ここは無料の寺だから入場料なんか要らないぜ、その乗り物はココで預かっておいてやるから、ゆっくり見てこいや」と結構流暢な英語をしゃべる子供に、まあ大丈夫か、と思ってキックボードを預けて階段をゆっくり上る。そうすると「私はここの正式なガイドだ、隣りの中学で英語を勉強しながらボランティアでガイドをしている、コッチだ」「ココはこういう歴史の由緒ある寺だ」「写真を撮ってやるよ」と、頼んでもいないのにしゃべるしゃべる。振り返ると街が良く見えて気持ちの良い風もふいて、ゆっくり回りたかったのに急かしてどんどん登って行く。すると「この絵葉書をあげるから僕らの学校に寄付をしてくれ」と。いくらでもいいのか、と思ってまあ1000ドンぐらいでも寄付してあげよかな、と思って1000ドンを出すと「20万ドンくれ」と。20万ドンって1500円だぞ、1500円。昨日泊まった宿は600円だぞ。
「寄付はしないよ」とはっきり告げても、案内は続き、「5万ドンでいい」「いや、払わない」というようなやり取りが続き、最後には「なんでだよ、こんなに一生懸命案内してやったのに、お前はひどいヤツだ」というような事を嘘泣きしながら言いやがって「バイバーイ」って言ってやったら「ファックユー」みたいな事を。やっぱりいわゆる観光地ってやつは嫌いだよ。そんなヤツらがいるって事はキックボードも危険!と思って急いで入り口に戻ると「早かったなもっとゆっくりすればよかったのに、ありがと」といってちゃんとキックボードを差し出した。
ベトナムの国民性って「騙し取れ」的なキケンな人も確かにいるんだけど、義理堅いというか、コッチの善意を踏みにじるようなことって一切なかった気がします。でも気分悪かったな、あれは。
ロンソン寺の寝ブッダ

ニャチャンのクソ暑い午後と足の不自由な絵描きの青年

ロンソン寺でがっくりしながらもバスの出発は夕方18時。気を取り直して昼食を。Fho Boo(10000d)とSaigonbeer(7500d)。
booっていうのは牛肉、っていう意味です
あまりにも暑い。ビールでも飲まないとやってられない。ニャチャンという街は南北に長く、っていうのは前のエントリーでも書いたけれど、思いのほか広く、そして浅い街で少し嫌気のようなものもあったのは事実。旅も中盤戦、ということで思いのほか疲労も蓄積していて、見所もそんなにあるわけではないので、少し高そうなカフェに入ってゆっくりすることにします。そのカフェはニャチャンでもかなりのオシャレスポット的なカフェで、地下にはVIPルームがあったりその上は池になってたりと、建物も近代的。そして何よりも店員さんが全員かわいいアオザイを着ていました。そこでベトナムコーヒー(5000d)。少し甘いコーヒーは、クタクタな身体に染み渡り、少し復活。この時は何故だか止まってられない意地のような、疲れたらもっと休めばいいのに、と今なら思うけれど、無理して遠くへ遠くへ行こうとしていた気がします。
オサレカフェ
ジャスミンティーがうれしい
アオザイかわいい
目的地をダム市場の更に北、ガイドブックのMAPの外側へ行ってみよう、と決めてがむしゃらにキックしていたら、いつの間にか普通のツーリストじゃ絶対行かないようなディープ生活エリアに突入していました。そこは舗装もされていない、周りの建物はバラックのようなトタン張り。
ディープエリア
その一角でチェを飲んでいた男の子に声をかけられました。その彼は足が悪くて松葉杖をついていて、職業は絵描き。19歳。そしてものすごく流暢な英語を話す彼とチェを飲みながら、たくさん努力をしたんだな、おれはまだまだ甘いとものすごく感動したわけです。
[右の見切れている彼が絵描きの青年
そしてその彼は回りに集まった子供達の一人を指差して、なにやらお金を渡して何か話しています。しばらくするとバナナを揚げたお菓子を持って、僕にそのお菓子を差し出すのです。財布を出そうとするとイラナイと。ありがたくいただいてウマイと日本語で言うと、みんなにっこり笑うんです。僕も笑顔。みんなハッピー。最高。
バナナを揚げたお菓子
幸せのかたち